前回まで、祇園祭の楽しみ方についてお話してきました。

京の都で古くから行われてきた祇園祭、その由来や歴史を知っているとお祭りがいっそう楽しくなると思いませんか?

今回は、祇園祭の起源と、それにまつわるちょっと意外な説をご紹介しますね。


<スポンサードリンク>



祇園祭の起源はいつ?歴史は?名前の由来は?


画像引用:http://www.kyoto-wel.com

祇園祭は、京都の八坂神社の例祭です。

八坂神社は、慶応4年(1868)までは祇園社と呼ばれていました。

祇園社の始まりには諸説ありますが、一説には656年、高麗からの使節である伊利之(いりし)が東山にスサノオノミコトを奉ったことが起源と言われています。

869年に、都に疫病が流行し、占いによって東山の小祠の祟りであると出たため、帝のための庭園である神泉苑に66本の鉾を立て、祇園社の稚児に祈らせたところ疫病が病んだとして、社寺のための土地が奉じられたのが現在の八坂神社の原点とされています。

 

ところで、祇園祭の名にある、「祇園」とは何のことでしょうか?

平家物語の冒頭で、「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり」とありますよね?
この祇園精舎とは、インドにあった寺院で、正式には祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎったどくおんしょうじゃ)といいます。現在は歴史公園とされているこの場所は、釈迦が説法を行った場所として、北インドの仏教徒にとっては聖地です。

 

祇園精舎の守り神とされているのが牛頭天王(ごずてんのう)です。牛頭天王は、神道と仏教が歴史の中で混交する中でスサノオと同一視されるようになりました。
つまり、八坂神社が奉っているのは牛頭天王=スサノオノミコト、ということになるのですね。

牛頭天王は疫病を司る神とされ、強大な力を持つと信じられていたので、これを鎮めるために山鉾や花笠で市中を練り歩き、退散を願うようになったのが祇園祭の発祥なのです。

 

 祇園祭の山鉾の意味は?


画像引用:http://www.asahicom.jp

今年の祇園祭では、前祭に23基、後祭に10基の山鉾が立ちます。

山鉾は、「動く美術館」と評されるほど、日本の伝統工芸の粋を集めた豪華な懸装品で飾られた山車のことで、その作りや飾りによって、山と鉾に区別されます。

 

はその頂にそれぞれのシンボルを飾った大型の山車で、稚児や囃子方を乗せて動くための車輪がついています。

一方のは松や杉などの木を頂にした、鉾よりは小型の山車で、車輪のついた曳山(ひきやま)と、担いで歩く舁山(かきやま)があります。現在は担ぎ手の減少により舁山にも車輪がつけられています。

 

鉾や山の中には故事にちなんで作られたものがいくつかあり、それに由来した鉾頭などの飾りつけがされています。そのうちの代表的なものをいくつかご紹介しましょう。

長刀鉾  毎年必ず先頭を行く鉾。鉾頭の長刀は厄病邪悪を祓うとされています。

芦刈山  大和物語の「芦刈」を題材としており、貧しさゆえ妻に去られ寂しく芦を刈る男の様子を表しています。転じて、夫婦和合や縁結びのご利益があるとされています。

函谷鉾  毎年5番目に行く鉾。孟嘗君が函谷関で鶏の鳴き声をまねて関門を開かせたと言う故事に因んだ鉾。鉾頭には三日月と山が、真木の上に孟嘗君、下に鶏が祀られています。

蟷螂山  からくり仕掛けの大かまきりが乗っています。かまきりが身をもたげ、大きな敵に挑む勇敢さを君子が賞賛したという中国の故事に基づいています。

船鉾   前祭巡行で必ず最後に行く鉾で、日本書紀で神功皇后が新羅へ出航したことにちなんだもの。船の形で、船頭には想像上の鳥「鷁(げき)」がかたどられています。

 

鉾も山も、それぞれのご神体を祀っており、また鉾頭と呼ばれるシンボルは、厄神の依り代とされるものです。市中を練り歩いて厄神を依り代に集めて祓うため、巡行が終わった後は、集めた厄神を逃がさないように、山鉾は速やかに解体されてしまうんですよ!

 

 

次のページでは、祇園祭のルーツにまつわるおもしろい説をご紹介します。

(Visited 776 times, 2 visits today)